パナソニック

様々な製品を生み出しているパナソニック

パナソニックといえば照明器具や家電用品等で有名ですが、家電以外の業界でも、電池、住宅用太陽光発電、ホームエレベーター等様々な部門でトップシェアを誇っています。
半導体などの製品も多く作られており、マイクロコンピュータ、特定用途ロジックLSI、ディスクリートデバイスなど魅力的な製品が多数あります。

32ビット高速・高性能マイコンは動作周波数も処理性能も高い製品です。
高性能さに加えて高精度アナログ回路、分解能の高いPWM回路を搭載していることで、インバータ制御能力が向上、コンバータ制御も実現できるという商品となっています。
電源制御やインバータ制御に利用され、エアコンや洗濯機などの性能をかなり向上させました。

こうした高性能な製品を作り出すパナソニックという企業は、日本人なら一度は耳にしたことがある「松下幸之助」さんが創業した企業です。

パナソニックの歴史

パナソニックの歴史は松下幸之助さんが大阪で始めた電球用ソケットの製造販売から始まります。
当時、借家でこの商売を始めた時、幸之助さんの奥様と弟さんの3人、1917年の事でした。
1918年に大阪市北区に移転し松下電器器具製作所を創立、1927年、自転車用角型ランプを販売した時からナショナルの商標を利用し始めました。

1931年にラジオの生産、その翌年ラジオの重要部の特許を買収し、無償で同業のメーカーに公開する等、戦後、エレクトロニクス業界の発展に大きく寄与したのです。
1933年にさらに移転し、大規模工場を建設し、この時事業部制を導入します。
その後、分社化、軍需産業に本格参入、さらに分社を本社に吸収合併しグループ再編を実施、日本が敗戦した1945年には朝鮮、満州、台湾、ジャワ、マニラ、上海など20カ所もの海外事業所を全て失うも、1946年に再統合などを果たし洗濯機などの開発をはじめました。

1952年にはオランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立、1954年、戦後壊滅事情帯となっていた日本ビクターと資本提携し、共に競争しつつ発展していくという業態を継続していたのですが、2007年資本関係を解消しています。

1955年、Pana Sonicブランドを作り輸出など行うようになり、1957年には街の電器屋さん加盟の日本初系列店ネットワークを発足する等、電器業界にも貢献します。
1971年にロゴをPANAS SONICからPanasonicへ変更し、様々な電気機器、家電、さらに半導体部品などを作り出す企業として活躍している企業です。

パナソニックの半導体

パナソニックは「次に創り出すために私達ができること、ビジネスパートナーに新しいソリューションを」というコンセプトを掲げ、様々な企業が利用する半導体を作り上げています。

マイクロコンピュータのほか、ロジックLSI、アナログIC、ディスクリートデバイス、オプトデバイス、イメージセンサなど、多くの製品を世に送り出しています。

シャープ

総合家電メーカーのシャープとして名をはせるまで

現在シャープは台湾・鴻海精密工業の買収が合意となり、日本の大手電機メーカーとしてはじめて外資系企業傘下となっています。
1912年、早川徳次さんが東京で創業した当時、徳尾錠と呼ばれた「ベルトのバックル」を発明し、起業した会社でした。
1915年には金属製繰出し鉛筆を発明し、これがアメリカで爆発的ヒットとなります。
この商品名は最初「早川式繰出鉛筆」という名だったのですが、アメリカで商品を販売する際、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」にしたことで、後に社名に利用されたのです。

1923年、関東大震災によってシャープペンシル工場が焼失してしまい、早川は家族も全て失い大阪にわたり、1925年、鉱石ラジオを「シャープ」という名前で販売し、戦争の前のヒット商品として人気を博します。
戦争が終わり、総合家電として松下電器産業、ソニーが台頭していたこともあり、この2社に圧倒的に差を付けられており、またこの当時、シャープ製テレビが発火し大火事になったなどトラブルも続き低迷の時代が長く続きました。

液晶のシャープと呼ばれるまで

低迷する時代から抜け出したのは、日本で初めて家電企業として電子レンジを制作、発売したという事です。
1966年には世界初のターンテーブル式電子レンジの開発に成功、1963年には太陽電池の量産化に成功しています。
太陽電池に関しては現在もシャープが世界2位です。

1964ん絵、オールトランジスタダイオードを利用した電子式卓上計算機を世界初として開発、その後電卓戦争と呼ばれるカシオとの戦いの中、表示部門に液晶技術を利用し、1973年、液晶を表示装置に利用したCMOS化電卓を開発し、これによってシャープは「液晶のシャープ」と呼ばれるようになったのです。

液晶事業への投資増を行っているシャープ

ファックス、電子辞書、電子レンジ、最近は複合機にも力を入れています。
更に液晶テレビ、そこから発展した携帯、スマホ等、様々な商品展開を見せているのがシャープの魅力ともいえます。

2009年にはLED電球を発売、家庭用照明事業にも参入し、もちろん半導体に関してもCCD等イメージセンサー、画像処理のLSI、液晶駆動用のLSI等、事業が推進されています。
半導体事業は特に注目されるもので、世界の中で注目される半導体企業としてシャープは知名度の高い企業です。
1970年にシャープ株式会社に社名変更して以来、先進的な部品、特徴的な商品を生み出す、さらに商品に利用されることで部品目標を明確にし、性能を向上させるという流れで企業が成長しています。

こうした企業の戦略をスパイラル戦略としているのですが、最近はこの戦略にプラスして、オリジナリティを重視したオンリーワン戦略も掲げています。

富士通

富士通、その歴史

日本のエレクトロニクスメーカー、総合ITベンダーとして世界的に有名な企業「富士通」は、ITサービス国内首位、また世界上位という日本が誇る企業です。
通信システムや情報処理システム、さらに電子デバイスの製造や販売、さらにサービス提供を行っています。

富士通は1923年、古河電気工業とドイツのシーメンス社が発電機と電動機を国産化するため合弁会社として設立された会社です。
富士通の「富」が意味するのはグループ古河の「ふ」であり、「士」はシーメンス社をドイツ語にした際のジーメンス社の頭文字である「じ」に由来しています。

富士通の半導体の歴史

1956年、富士通の川崎工場内にトランジスタ工場を新たに造りました。
ここでは電電公社の中継向けとして、シリコントランジスタ第一号を製品化しています。
1957年には国内最大、大型凡庸電子計算機である「FACOM222」が完成します。
その後、シリコン半導体技術を基として、TTL(論理集積回路 ロジックICの一種)等について電算機向けIC開発に着目します。

1966年、川崎工場において日本初、当時の最新設備といわれた技術の結晶である「ハンド半導体製造クリーンルーム」を完成させ、1968年には世界初「フルIC電算機FACOM230-60」を作り上げたのです。
更に1970年にはNi-Cr薄膜ハイブリッドICの開発に成功、福島県会津工場でIC生産をはじめ、量産体制を確立させました。

半導体デバイスHEMT製品化に成功

1976年にコンピュータ用メモリの微細加工技術を確立し、1979年にCMOSゲートアレイの外販をスタートさせます。
この年、アメリカに設計と販売を行う会社として、現Fujitsu Semiconductor America, Inc、当時の「Fujitsu Microelectronics Inc.」を設立しました。

そして1980年、富士通は動作原理を考案、開発した半導体デバイスHEMTを製品化します。
それからはパソコンに世界初64Kb FRAMを搭載、世界初となるCMOS 256Kb EPROMを発表し、1986年にはシンガポールにも設計と販売を行う会社を設立します。

世界初 スーパーコンピューターの塩酸機能をワンチップ化

1992年にはガリひ素ICの量産工場を作りこの年、やはり世界初となったスーパーコンピューターの演算機能のワンチップ化に成功しました。
そして、CMOSのベクトル処理LSIを作ったのです。
富士通は常に、半導体に関して一歩先を行く研究、開発、販売を行ってきたという事がよくわかります。

2000年にはあきる野テクノロジーセンターの開発、ここで最先端デバイスの開発や設計、試作などを一貫して行える施設が誕生します。
さらい2003年には半導体後工程となる事業を専門に行う富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ株式会社が誕生し、中国にも販売会社が生まれます。

実績が評価された受賞と止まる事のない開発への努力

2005年、マルチギガビットCMOS高速I/O技術の開発と実用化が第51回大河内記念賞を受賞し、ますます躍進を続ける富士通は、2006年には三重工場に300mmウェーハ対応第2棟建設、さらにアジア地域を強化するため、マイコン設計会社も設立します。

現在も半導体やそのほかの分野において、富士通は止まる事のない躍進、努力を続けています。
世界的にも注目される先進技術を作り出す富士通は、この先も注目される企業です。

半導体設計

半導体設計と呼ばれるお仕事もあります。
求人サイトで見かけたことがあるという方も多いでしょうが、ここでは半導体設計のお仕事についての情報を発信したいと思います。

チーム作業が求められる

半導体設計と一口に言ってもそう簡単に仕事内容を説明できるようなものではありません。
半導体集積回路の設計一つを取ってみても、システム設計やロジック設計、回路設計、レイアウト設計などに分けることができるのです。

これらの設計に使用されるのがCADやCAMですから、これらのソフトを扱えないと業務をこなすことはできないでしょう。
また、半導体設計者、エンジニアはチームで作業を進めることがほとんどですから、周囲としっかりコミュニケーションが取れることも大切です。

求められる人材

半導体の新技術に関する情報やトレンドは海外から飛び込んできます。
そのため、英語力が高い人材を求めている企業は少なくありません。
海外から仕入れた情報をいち早く設計に取りいれることもありますし、最新情報を得るために英語で議論を挑めるだけのスキルもあると良いかもしれません。

情報収集能力も半導体設計者には必要不可欠なスキルです。
現在でも半導体の分野は技術の発展が著しいですし、次々と新しい技術や情報が発信されることもあります。
それをいち早く察知して収集できるだけの能力も必要となるのではないでしょうか。

半導体エンジニアの仕事は多岐に渡りますが、その分やりがいは十分に感じられるお仕事と言えるでしょう。
求人サイトでも半導体エンジニアを募集していることは多いですし、この業界の知識がない方でも大丈夫という企業もあります。
即戦力を求める企業だと活躍できないかもしれませんが、じっくりと時間をかけて育ててくれる気のある企業なら安心して働けるでしょう。

外資系半導体 営業マネージャー

近年では日本でも外資系企業の伸び率が非常に高いですね。
さまざまなジャンルにおいて外資系企業が躍進していますし、戦々恐々としている日本企業も多いのではないでしょうか。
求人サイトでは外資系半導体企業の営業マネージャーといった求人案件を目にすることも多いですが、果たしてどのような仕事内容なのでしょうか。

企業によって異なる

外資系半導体企業の求人案件に興味を持った場合、もっとも気になるのは仕事内容ですよね。
どのような業務に携わるのかも分からないまま就職するのはリスクが高いですし、あらかじめ業務内容を知っておきたいというのは不思議なことではありません。

営業マネージャーなら基本的には営業職となりますが、営業先がパートナー企業なのか、それともクライアントになるのかという違いも出てきます。
営業をかける相手が違えば手法も変わってきますから、ここは重要な部分ですね。

また、担当顧客に向けた予算管理や中期的な戦略の作成、その実行などを任されることもあります。
どこまでの業務を担当するのかも企業によって異なりますから注意しましょう。

必要な知識やスキル

外資系企業ではありますが、基本的には営業職としてのスキルがあれば業務に携わることはできるでしょう。
トークスキルやコミュニケーションスキルは必須ですし、話の持っていき方、駆け引きのうまさなども必要となります。

パートナー企業やクライアントが海外企業だと当然語学力も要求されます。
日常英会話ができるのは当然のことで、TOEICで600以上取得しているなどの条件が課されることも珍しくありません。
ただ、TOEICの点数よりも日常英会話力、コミュニケーション力を重視するような会社もあります。

自社の半導体製品に関する知識は熟知しておく必要があります。
それができないとクライアントへ提案することもできませんから、これは必須ですね。

待遇について

待遇や条件については企業によってまちまちです。
また、新卒で就職するのか異業種から転職するのか、経験者なのかによっても大きく変わってくるのではないでしょうか。

これは外資系半導体企業の営業マネージャーだけに関わらず、どのような企業の就職においても同じことが言えます。
基本的には経験者を優先する傾向がありますし、半導体営業職として数年間活躍していたというような人材を求めていることも珍しくありません。

すぐにでも活躍できる即戦力を求めている企業もあれば、着実に成長してもらい力をつけてほしいという会社もあります。
外資系半導体企業の営業マネージャーという求人案件は意外に見つけることができますから、興味のある方はぜひチャレンジしてみましょう。

半導体の2000年代

2000年代はLSIがインフラになってしまった時代と言っても過言ではありません。
ほとんどの電子機器にはLSIが搭載されるようになり、ソフトとハードが一体化しているプラットフォーム型の開発もますます広がりを見せるようになったのです。
ここでは、2000年代の日本がどうだったか、半導体事情はどうだったかについてご紹介しましょう。

東京ディズニーシーの開業

2000年に入ると日本では東京ディズニーシーが開業します。
ディズニーリゾートと言えばディズニーランドでしたが、ディズニーシーの誕生によって新たな楽しみが増えることになりました。

また、2001年には世界史に名を刻むほどの大事件がアメリカで起きます。
いわゆる911テロ事件と呼ばれるもので、ハイジャックされた航空機によってビルに突入するという歴史上稀にみる大参事となってしまいました。

2004年になるとプロ野球リーグにインターネットサービス企業の雄楽天が参入します。
ライブドアと激しく主導権争いをしていた楽天は着実に足元を固めることに成功し、ついに東北エリア初となるプロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生するのです。

2009年になると新たな司法の形として裁判員制度がスタートします。
一般市民が裁判員となって裁判に参加する制度で、賛否両論あったものの現在でも行われています。

また、2009年には一つの歴史を作ったと言っても過言ではないスーパースター、マイケルジャクソンが死去するという悲しい出来事もありました。
現在でもマイケルジャクソンの死についてはいろいろな憶測が流れているものの、大勢のファンが涙したことだけは紛れもない事実です。

2000年代の半導体

フラッシュメモリの大容量化もますます進むようになり、2010年にはついに64ギガビットの製品も開発、販売されるようになるなど着実に技術の進歩がみられます。
2000年代はまさにフラッシュメモリ全盛期と言っても過言ではなく、デジカメや音楽プレーヤー、携帯電話にUSBメモリなど、新しい需要も拡大していったのです。

後半になるとプロセッサはマルチコアの時代へと突入しました。
複数のコアを並列動作させることで高性能化と低消費電力化の二つを実現することができ、これによって一つの時代が終わりを迎え新しい時代に突入したと言っても過言ではありません。

この年代には新しいメモリ開発も進みましたし、それに伴いさまざまな便利なアイテムも世に送り出されてきました。
今現在我々が日々快適な暮らしを続けられるのもそうした技術の進歩に支えられていると言っても良いでしょう。
2010年以降もさらに技術は進化を見せていますし、これから先も楽しみでなりません。

半導体の1990年代

それまでアメリカの背中をとらえきれなかった日本ですが、80年代に入ると半導体分野でアメリカを凌駕するようになりました。
しかし、1990年代になると技術こそますます磨きがかかっていくものの、ビジネス面では韓国勢が台頭するようになり日本は劣勢となります。
ここでは、1990年代の日本はどんな時代だったか、この年代の半導体事情はどうだったのかということについてご紹介しましょう。

元気のある世の中

1990年には携帯、自動車電話のキャッチホンサービスが開始されることになります。
まだこの時代に携帯電話を持つ方は極めて少なかったですし、自動車電話を搭載している方もごくわずかな人でした。

翌年には今や伝説にもなったディスコ、ジュリアナ東京がオープンします。
夜な夜な踊り狂う男女がジュリアナ東京に足を運び、お立ち台やジュリ扇などは流行語にもなりました。
タクシーを待つ人が行列を作り、タクシーを停めるために一万円札を掲げる人が続出したような時代でもあります。

1995年になると日本を揺るがす大きな災害や事故もありました。
この時代を代表する災害の一つが阪神淡路大震災で、非常に強い地震と火災のために多くのエリアが甚大な被害を受けることとなりました。
また、テロリスト宗教集団による地下鉄サリン事件も起き、大勢の被害者を出したのもこの年です。
後半になると消費税の5パーセント引き上げや長野オリンピックの開催といった話題がありますね。

1990年代の半導体

常にアメリカの後ろをさまよっていた日本は80年代に入るや否やアメリカの背中を捉えることに成功し、DRAMの大容量化もますます進んでいきました。
これは90年代に入っても同様で、最終的には1ギガビットの開発まで行われるようになったのです。

1993年には大手電機メーカー日立がフラッシュ内臓マイコンを製品化し販売を開始しました。
フィールドにおける書き換えが可能となった点も従来から進化した点で、多くのユーザーから高評価を得ることに成功します。
これによってフラッシュマイコン市場は急速に拡大したと言われており、現在でもマイコンにおける主流技術となっています。

日本自慢の技術力の高さで半導体ジャンルの研究開発はますます盛んとなりましたが、韓国製の製品もこの頃から多数日本に入ってくるようになり、しかも安価ということで日本は苦戦するようになります。
それでも日本は価格よりも技術力で勝負する道を選び、そのおかげもあって日本ブランドの威信を守ることに成功したのです。

この時代もいろいろなことがあったようですね。
半導体分野の成長はもちろんですが、日本の歴史に刻まれるような痛ましい災害、事件が起きたのはショックですね。

半導体の1980年代

1980年代に入ると、それまでアメリカの背中を追いかけ続けてきた日本がついにメモリの大容量化でアメリカをしのぐようになります。
それまで培ってきたCMOS技術がメモリやマイコンといった分野に活用されるようになり、こちらでもアメリカに脅威を与えるようになったのです。
ここでは、1980年代の日本がどのような時代だったか、この年代の半導体事情はどうだったかということについてご紹介します。

ガンダムのプラモデルブーム

1980年代に入ると、男の子が生涯で一度は通る道と言われるガンプラ、すなわちガンダムのプラモデルブームがやってきます。
当時の男子にとってカリスマ的な存在だったガンダムアニメにはまった方は多いですし、ガンプラを精巧に造って自宅にたくさん飾る男子が増えました。

1983年になるとインターネットが誕生します。
今では誰もが当たり前のように使っているインターネットですが、この時代のインターネットはまだそこまで発達していませんし、できることも限られていました。
当然、インターネットサービスの数や質も現在ほどではなかったのです。

1986年にはつくば万博が開催されましたし、男女雇用機会均等法が施行されました。
翌年には世界的人気を誇っていたポップ界のカリスマ、マイケルジャクソンが来日したほかマドンナも日本の地に降り立ったのです。
マイケルとマドンナという二人の絶対的な音楽のカリスマが来日したことで、日本では洋楽ブームも加速しました。

1989年には昭和という一つの時代が終焉を迎え、平成という新しい時代が始まりました。
長きに渡った昭和の時代が終わり平成時代に突入したのですが、この年に初めて消費税が施行されたのも記憶に新しいのではないでしょうか。

1980年代の半導体

最初にもお伝えしましたが、この年代に入ると日本はそれまで必死になって追いかけていたアメリカの背中を捉えることに成功します。
国内の主要大手メーカーがDRAMの大容量化競争を開始し、それによってアメリカを逆に突き放すようになりました。

83年にはNECが16ビットマイコンとしてデファクトスタンダードだったインテルのi8686の上位互換性を持つ16ビットマイコンV30を開発することに成功します。
このマイコンが誕生したことでパソコンやファックス、プリンタといったオフィス機器や産業制御機器などの分野が著しく成長することになったのです。

翌年になると東芝からフラッシュメモリが登場します。
当時の主流だったインテル製のものより遥かに大容量かつ安価であったため、不揮発性メモリの本命として知名度を高めていったのです。
この年代にもいろいろな変化が起こりましたが、半導体分野でも大きな変化があったみたいですね。

測長SEM

測長SEMは走査型電子顕微鏡の技術を応用した装置です。
半導体等のウエーハ上に形成されたパターンの寸法計測用に特化した装置で、電子デバイスの製造ラインで使用されることが普通です。
ここでは、測長SEMについてお話しますから、興味のある方はぜひ最後まで目を通してください。

パターンの寸法を測定する

半導体製造において使用される測長SEMは、Critical Dimension-Scanning Electron Microscopeのことを指します。
先ほども言ったように、ウエーハの上に造られたパターンの寸法を測定するためだけに用いられている装置で、製造ラインで使われている機器です。

現像後のフォトレジストパターンの寸法設計に用いられたり、エッチングをしたあとの配線幅、コンタクトホール径などの測定にも利用されます。
さまざまなメーカーから機器がリリースされていますが、特に日立が1984年にリリースした機器は発売から30年以上経った現在でも第一線で活躍しています。

特徴について

SEMという言葉は既にこのサイトでも何度か出てきましたよね。
しかし、いったい何が違うのか、一般的なSEMと何が異なるのかという疑問を抱いてしまった方も多いはず。

違いはいくつかあるのですが、一つにはウエーハ用の微細寸法設計に特化することで測定をオートマティック化したということが挙げられます。
機能と用途を絞り込むほど高性能な機器になる、というのは理解できると思いますが、この測長SEMがまさにそれです。

ウエーハ上のパターン寸法を測定することだけに特化していますから、ムダな機能は一切省いています。
これによって測定を自動化することに成功し、よりスムーズで精度の高い測定が可能となりました。

測定の原理

測長SEMによる測定の原理ですが、計測には画像のコントラスト信号を用いています。
画像上で計測箇所を指定し、その場所のラインプロファイルを求めます。
ラインプロファイルとは何ぞや?と思った方もいるでしょうが、これは計測する部分のコントラストを高さ方向にとった分布線のようなもの、と考えると良いでしょう。

このラインプロファイルを用いて測定したい場所の寸法を測ります。
画像の倍率や測定区間の画素数カウントによって自動的に寸法が算出されるようになっています。

ネットで探すと画像例なども見ることができますから、もっと深く知りたい方はインターネットで検索してくださいね。
測長SEMの特徴などについてご紹介しましたが、いかがだったでしょう。
少し難しかったかもしれませんが、一応知識として覚えておくといつか役に立つ日がくるかもしれません。

エッチング装置

半導体の製造において使用される機器にはさまざまなものがありますが、エッチング装置もそうした機器の一つです。
エッチングとは化学腐食、蝕刻といった意味合いを持ちますが、薬液や反応ガス、イオンによって起こる化学反応を用いて薄膜の形状を加工する装置ということです。
ここでは、半導体製造に欠かせないエッチング装置についてお話しましょう。

表面加工の技術

そもそもエッチングという言葉はあまり耳にしませんよね。
日常生活を送る上でエッチングという言葉を耳にする機会はまずありませんし、知らなくても特別困ることはありません。

エッチングとは、化学薬品を用いることで起きる腐食作用を利用した成形、表面加工の技術です。
半導体工学においてもエッチングが使用されていますし、ほかにも金属加工の世界でもエッチング技術が使われています。

また、珍しいところではガラスへのエッチングがあり、装飾技法としてエッチンググラスなるものが存在します。
明治時代にステンドグラスの技法と共に海外から日本に持ち帰られた技術と言われており、昭和初期からさまざまなガラス作品が生み出されました。

二つのエッチング

半導体製造におけるエッチングには二つの種類があり、ウェットエッチングとドライエッチングの二つに区別することができます。
ウェットエッチングとは酸やアルカリを利用して露出部分を除去する方法で、使用する薬液が安価、一度の作業で複数の枚数を処理することができるといった特徴があります。
ドライエッチングは真空管プラズマを使用することが特徴で、ガスをプラズマ化することによって化学反応を起こし、イオンの力によって除去します。

ウェットよりも高価になるのがネックですが、その分微細加工や異方性に優れているというメリットがあります。
それぞれに特徴がありますから、どちらを使用するかは企業、工場の方針によって異なるのではないでしょうか。

プラズマって?

さきほどプラズマという言葉が出てきましたが、そもそもプラズマってなんだ?と思った方も多いのではないでしょうか。
かつて突然田んぼに現れるミステリーサークルが話題となったことがありましたが、あのミステリーサークルの原因としてプラズマが取り上げられたこともありましたね。

プラズマとは正の電荷を持つイオンと負の電荷を持つイオンが電離状態のまま分布し、全体的にほぼ電気的中性を有した粒子の集まりです。
電離によって生じた荷電粒子を含む気体、ということですね。

エッチングについてご紹介しましたが、少々難しかったかもしれませんね。
このようなことも半導体製造では行われているよ、という感覚で理解してもらう程度で大丈夫です。
興味のある方はもっと調べてみましょうね。