半導体の2000年代

2000年代はLSIがインフラになってしまった時代と言っても過言ではありません。
ほとんどの電子機器にはLSIが搭載されるようになり、ソフトとハードが一体化しているプラットフォーム型の開発もますます広がりを見せるようになったのです。
ここでは、2000年代の日本がどうだったか、半導体事情はどうだったかについてご紹介しましょう。

東京ディズニーシーの開業

2000年に入ると日本では東京ディズニーシーが開業します。
ディズニーリゾートと言えばディズニーランドでしたが、ディズニーシーの誕生によって新たな楽しみが増えることになりました。

また、2001年には世界史に名を刻むほどの大事件がアメリカで起きます。
いわゆる911テロ事件と呼ばれるもので、ハイジャックされた航空機によってビルに突入するという歴史上稀にみる大参事となってしまいました。

2004年になるとプロ野球リーグにインターネットサービス企業の雄楽天が参入します。
ライブドアと激しく主導権争いをしていた楽天は着実に足元を固めることに成功し、ついに東北エリア初となるプロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生するのです。

2009年になると新たな司法の形として裁判員制度がスタートします。
一般市民が裁判員となって裁判に参加する制度で、賛否両論あったものの現在でも行われています。

また、2009年には一つの歴史を作ったと言っても過言ではないスーパースター、マイケルジャクソンが死去するという悲しい出来事もありました。
現在でもマイケルジャクソンの死についてはいろいろな憶測が流れているものの、大勢のファンが涙したことだけは紛れもない事実です。

2000年代の半導体

フラッシュメモリの大容量化もますます進むようになり、2010年にはついに64ギガビットの製品も開発、販売されるようになるなど着実に技術の進歩がみられます。
2000年代はまさにフラッシュメモリ全盛期と言っても過言ではなく、デジカメや音楽プレーヤー、携帯電話にUSBメモリなど、新しい需要も拡大していったのです。

後半になるとプロセッサはマルチコアの時代へと突入しました。
複数のコアを並列動作させることで高性能化と低消費電力化の二つを実現することができ、これによって一つの時代が終わりを迎え新しい時代に突入したと言っても過言ではありません。

この年代には新しいメモリ開発も進みましたし、それに伴いさまざまな便利なアイテムも世に送り出されてきました。
今現在我々が日々快適な暮らしを続けられるのもそうした技術の進歩に支えられていると言っても良いでしょう。
2010年以降もさらに技術は進化を見せていますし、これから先も楽しみでなりません。

半導体の1990年代

それまでアメリカの背中をとらえきれなかった日本ですが、80年代に入ると半導体分野でアメリカを凌駕するようになりました。
しかし、1990年代になると技術こそますます磨きがかかっていくものの、ビジネス面では韓国勢が台頭するようになり日本は劣勢となります。
ここでは、1990年代の日本はどんな時代だったか、この年代の半導体事情はどうだったのかということについてご紹介しましょう。

元気のある世の中

1990年には携帯、自動車電話のキャッチホンサービスが開始されることになります。
まだこの時代に携帯電話を持つ方は極めて少なかったですし、自動車電話を搭載している方もごくわずかな人でした。

翌年には今や伝説にもなったディスコ、ジュリアナ東京がオープンします。
夜な夜な踊り狂う男女がジュリアナ東京に足を運び、お立ち台やジュリ扇などは流行語にもなりました。
タクシーを待つ人が行列を作り、タクシーを停めるために一万円札を掲げる人が続出したような時代でもあります。

1995年になると日本を揺るがす大きな災害や事故もありました。
この時代を代表する災害の一つが阪神淡路大震災で、非常に強い地震と火災のために多くのエリアが甚大な被害を受けることとなりました。
また、テロリスト宗教集団による地下鉄サリン事件も起き、大勢の被害者を出したのもこの年です。
後半になると消費税の5パーセント引き上げや長野オリンピックの開催といった話題がありますね。

1990年代の半導体

常にアメリカの後ろをさまよっていた日本は80年代に入るや否やアメリカの背中を捉えることに成功し、DRAMの大容量化もますます進んでいきました。
これは90年代に入っても同様で、最終的には1ギガビットの開発まで行われるようになったのです。

1993年には大手電機メーカー日立がフラッシュ内臓マイコンを製品化し販売を開始しました。
フィールドにおける書き換えが可能となった点も従来から進化した点で、多くのユーザーから高評価を得ることに成功します。
これによってフラッシュマイコン市場は急速に拡大したと言われており、現在でもマイコンにおける主流技術となっています。

日本自慢の技術力の高さで半導体ジャンルの研究開発はますます盛んとなりましたが、韓国製の製品もこの頃から多数日本に入ってくるようになり、しかも安価ということで日本は苦戦するようになります。
それでも日本は価格よりも技術力で勝負する道を選び、そのおかげもあって日本ブランドの威信を守ることに成功したのです。

この時代もいろいろなことがあったようですね。
半導体分野の成長はもちろんですが、日本の歴史に刻まれるような痛ましい災害、事件が起きたのはショックですね。

半導体の1980年代

1980年代に入ると、それまでアメリカの背中を追いかけ続けてきた日本がついにメモリの大容量化でアメリカをしのぐようになります。
それまで培ってきたCMOS技術がメモリやマイコンといった分野に活用されるようになり、こちらでもアメリカに脅威を与えるようになったのです。
ここでは、1980年代の日本がどのような時代だったか、この年代の半導体事情はどうだったかということについてご紹介します。

ガンダムのプラモデルブーム

1980年代に入ると、男の子が生涯で一度は通る道と言われるガンプラ、すなわちガンダムのプラモデルブームがやってきます。
当時の男子にとってカリスマ的な存在だったガンダムアニメにはまった方は多いですし、ガンプラを精巧に造って自宅にたくさん飾る男子が増えました。

1983年になるとインターネットが誕生します。
今では誰もが当たり前のように使っているインターネットですが、この時代のインターネットはまだそこまで発達していませんし、できることも限られていました。
当然、インターネットサービスの数や質も現在ほどではなかったのです。

1986年にはつくば万博が開催されましたし、男女雇用機会均等法が施行されました。
翌年には世界的人気を誇っていたポップ界のカリスマ、マイケルジャクソンが来日したほかマドンナも日本の地に降り立ったのです。
マイケルとマドンナという二人の絶対的な音楽のカリスマが来日したことで、日本では洋楽ブームも加速しました。

1989年には昭和という一つの時代が終焉を迎え、平成という新しい時代が始まりました。
長きに渡った昭和の時代が終わり平成時代に突入したのですが、この年に初めて消費税が施行されたのも記憶に新しいのではないでしょうか。

1980年代の半導体

最初にもお伝えしましたが、この年代に入ると日本はそれまで必死になって追いかけていたアメリカの背中を捉えることに成功します。
国内の主要大手メーカーがDRAMの大容量化競争を開始し、それによってアメリカを逆に突き放すようになりました。

83年にはNECが16ビットマイコンとしてデファクトスタンダードだったインテルのi8686の上位互換性を持つ16ビットマイコンV30を開発することに成功します。
このマイコンが誕生したことでパソコンやファックス、プリンタといったオフィス機器や産業制御機器などの分野が著しく成長することになったのです。

翌年になると東芝からフラッシュメモリが登場します。
当時の主流だったインテル製のものより遥かに大容量かつ安価であったため、不揮発性メモリの本命として知名度を高めていったのです。
この年代にもいろいろな変化が起こりましたが、半導体分野でも大きな変化があったみたいですね。

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半導体の1970年代

1970年代になるとメモリやマイコンといった分野が急成長を見せるようになります。
これらの産業用LSIは米国に一日の長がありましたが、それを日本が追いかける形で技術を取りいれさまざまな製品へと反映させていきます。
ここでは、1970年代に日本で起きていた出来事や半導体の発展などについてご紹介します。

大阪万博の年

1970年には大阪で日本万国博覧会、いわゆる大阪万博が開催されます。
大阪エリアではこれ以上ない盛り上がりを見せた万博ですが、現在ではその跡地に著名な芸術家による作品が建設されていることも知られています。

また、現在では日本中のどこにでもあるファーストフードショップ、マクドナルドの一号店が東京銀座にオープンしたのもこの年代です。
手軽に食べることができしかもオシャレということもあり、若者を中心に爆発的な人気を得ることに成功しました。

1974年になると日本初となるコンビニが誕生します。
今でこそどこにでもあるコンビニですが、実は長い歴史があるということですね。
この時代からすでに原型が存在していたことに驚いてしまう方も多いのではないでしょうか。

1977年になるとアップルコンピュータが設立されます。
アイフォンやアイパッドといった人気商品を数多くリリースしてきたアップルはこの年に誕生しました。
また、この年にはリーズナブルで美味しく飲めるということで第一次焼酎ブームが起きましたね。

1979年には第二次オイルショックが起きます。
これによって日本の経済にも大きな影響が現れましたが、その後何とか立て直すことができました。

1970年の半導体

最初に言ったように、この年代にはメモリとマイコンが急成長する事態となり、技術開発で先行するアメリカを日本が追いかけるという図式ができあがりました。
当初は突き放され気味だった日本ですが、持ち前の技術力と研究熱心さによってあらゆる技術を習得し、日本独自のものへと変換させていきます。

1970年の初頭には日立や東芝、NECといった日本を代表する大手電機メーカーが、4ビットマイコンに8ビットマイコン、さらに16ビットマイコンを開発することに成功し、これをどんどん量産化することにも成功します。
当初は産業用として利用されてきたマイコンですが、やがて身近な家電や自動車、オフィス機器などに使用されるようになったのです。

78年になると日立が二重ウエルCMOS構造を採用した高速SRAMを発表しました。
また、翌年にはNECが世界標準のフロッピーディスクフォーマットに対応可能なコントローラを開発し、この時代のパソコンに搭載されることになったのです。

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半導体の1960年代

半導体の歴史は意外にも長いです。
最近誕生したもののように扱われていたり、近年発見されたものだと考えている方もいるかもしれませんが、実は割と長い歴史があります。
ここでは、1960年代の半導体についての歴史をご紹介しますから、話のネタ程度に目を通してください。

時代背景

1960年代から既に半導体は存在していました。
60年代といってもパッとしないかもしれませんから、ここではまずこの時代がどのような時代だったかをご紹介しましょう。

まず、1960年代の初めにはカラーテレビが登場して世間の人々を騒がせました。
テレビは白黒というのが当たり前だった時代にカラーテレビが登場したのですから、その驚きはひとしおだったでしょうね。

また、後のプロレス界に多大な影響を与えたアントニオ猪木氏やジャイアント馬場氏がデビューしたのもこの時代です。
また、海外ではケネディ大統領がパレードの真っ最中に銃撃され暗殺されるという世界を激震させる大事件も起こりました。
この時代についてはコチラを参考にするともっと分かりやすいかもしれません。
>>1960年代流行(出来事) | 年代流行

1964年になると日本で東京オリンピックが開催されます。
オリンピックを東京に誘致することに成功し、日本はますます高度経済成長が進みます。
この年代の後半になると女性のあいだではミニスカートがブームとなり、エスカレーターで上るときに紙袋でお尻を隠す女性が増えましたね。

また、アポロ11号が人類初となる月に着陸したのもこの時代です。
月への着陸となる人類の新たな第一歩、可能性を感じさせてくれたのもこの時代と言えるのではないでしょうか。

1960年代における半導体

さまざまなことが起きたこの時代ですが、日本では60年代の頭に集積回路の実用化に向けた試作が始まりました。
この後長期にわたって進むことになるデジタル化への第一歩を踏み出したのがこの時代です。

さまざまな企業が集積回路を実用化しようとする動きを見せ、特に三菱電機はこのジャンルに力を入れました。
三菱電機のモレクトロンは有名ですが、これはWestinghouseが作ったサンプルを参考にして試作し、それを量産したものですから完全なる三菱の快挙ということではないでしょう。

中期になると電卓に初めて集積回路が使用されることになりました。
当初電卓にはトランジスタが用いられていましたが、後にICに移行することとなり、最初は複数の集積回路が使用されていたものの後にワンチップとなりました。

1960年代はまさにデジタル化への第一歩を踏み出した時代と言っても過言ではないかもしれませんね。
また、人類が初めて月に到着した歴史的瞬間が誕生したのもこの時代ですし、人類の歴史にとっても非常に重要な時代と言えるのではないでしょうか。