東芝

東芝の歴史

半導体メーカーの国内最大手として知られる東芝は、子会社、関連会社を形成している東芝グループの中核となっている最大手企業です。
テレビ、半導体のほか、重電機、また軍事機器や鉄道車両などについても事業展開しており世界的に高い知名度をもっています。
現在は半導体の製造ラインを友順科技股份有限公司に売却していますが、半導体メーカーとして国内最大手としての立場は変わっていません。

家電製品については、国産化第1号となった製品が多く、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器等多くが国産化第1号です。
白物家電と呼ばれる製品のパイオニア的存在であり、東芝の名は誰もが知っている企業名といっていいでしょう。

からくり人形から始まった

創業はからくり人形をはじめ、和時計などの開発をした初代田中久重さんで、からくり儀右衛門としても知られています。
東京、銀座に諸器械製造所の工場を作り、弟子で養子の田中大吉さん(のちの2代目久重)が東京芝浦に移転させました。
沖電気工業創業者、池貝創業者、宮田工業創業者など、東芝の銀座の工場には素晴らしい技術者たちが揃っていたことも、東芝の躍進に深く関係しているでしょう。

日本では誰もが知っている東芝という企業は家電製品以外にも、半導体という分野で私たちが目にすることのない機器の主軸となる製品を作り出す日本屈指の企業なのです。

東芝の半導体

東芝の半導体技術は世界屈指の技術です。
ノートパソコンのアダプタ、ゲーム機、デスクトップパソコンやサーバーなどの様々なアプリケーションについて、AC-DC電源の2次側用途となる製品や、通信機器のDC-DC電源用途向けの高効率MOSFETシリーズは、電源の高効率化に貢献しています。

東芝が1984年に開発した次世代を担う半導体メモリ、フラッシュメモリは世界に先駆けて実用化されたもので、NAND型フラッシュメモリについてはメモリカード、SSD、産業機器などについて応用機器として採用されたことで、現在世界標準デバイスとして高い知名度を誇ります。
これから先、情報量が増大している中、さらにNAND型フラッシュメモリの需要が高くなっていくことが予想され、製品開発を継続的に進めています。

東芝のViscontiファミリーは先進運転支援システム「ADAS」の求める画像認識処理のアルゴリズムを高速実行でき、さらに処理性能の高さと低消費電力動作で高い評価を受けています。
1台から4台のカメラ入力画像を即時リアルタイムで処理する事で、自動車の周辺車線境界線や車両、また歩行者や自転車、標識までも認識し、衝突警報や標識認識、駐車支援など運転支援のための高性能なアプリケーションを実現しています。

こうした東芝の半導体技術によって、様々な商品が高性能になり、先進的な商品作りに貢献しているのです。

ソニー

ソニーといえば

日本の電機メーカーとして知名度の高いソニーは、現在、世界首位のイメージセンサー、ゲーム等幅広い分野に製品を送り出す世界的にも有名な企業です。
テレビ、オーディオ、現在は電子ブックやICレコーダー、デジタルカメラなどでも有名ですし、IC記録メディアや携帯電話、スマートフォン等様々な製品を作っています。

ソニーの半導体はイメージセンサーを中心として、LSI、レーザー、ディスプレイデバイスなど多くの製品があり、開発から設計製造を一体として行っています。
様々な商品が多様化していく中、ユーザーが求める製品への期待に応えるべく、常に先進的な技術をもって新たな価値を生む製品づくりをしています。

ソニーの歴史

ソニーは昭和21年、東京通信工業株式会社として設立し、創業当時、真空管電圧計の製造や販売を行っていました。
昭和25年には日本初となるテープレコーダーを開発し、ソニーはオランダの大企業、フィリップ社などへ輸出する方針を立て、トランジスタの自社生産を始め、1957年には輸出したトランジスタラジオ「TR-36」が大成功となります。
1958年、東京通信工業株式会社からソニー株式会社と改称、この年、東京証券取引所第一部上場を果たしました。

1960年代になるとアメリカにむけて現地法人を送り込み販売活動を開始します。
日本企業初として株式のADRが日本政府によって認められ、世界各国に現地法人を設置していくこととなりました。
1970年代には家庭用VTRの普及に力を入れ、松下電器、日本ビクターと共同でU規格を立ち上げ、後に昭和50年、ビデオカセット規格ベータマックスを発売、当時に日本ビクターが作ったVHSと家電業界を二分するビデオ戦争と呼ばれる状態になりましたが、ソニーがVHS機を並売するという形になりました。

1980年代に向けて、1979年、ヘッドフォンで音楽を聴くという形の携帯型カセットテーププレーヤーウォークマンが販売され、これは1995年に生産累計1億5000万台となり、このウォークマンの登場は音楽リスニングを大きく変えた商品として高い評価を受けています。

1990年代には英文ワープロからパソコンブランドへのサンユウを図り、VAIOブランドが人気となり、その後携帯電話端末の開発や販売を行うようになりました。
ソニーの製品は常に時代の先端を走るものが多く、また、ソニーの様々な製品が電器、半導体などへの影響を与えたことは言うまでもありません。

半導体技術「FeliCa」

半導体技術を駆使し作られたソニーの登録商標となっているFeliCaは非接触型ICカードの技術方式をもっています。
リーダ・ライタからキャリアを送信し、電磁誘導する事によってICカードに電力を供給、キャリアの変調によってリード・ライタとICカードの間で通信を行うというものです。

このFeliCaは、通常のICカードと同様にキャッシュカードなどに適用可能な技術として高く注目され、自動改札機、またオフィスビルへの入館のセキュリティゲートなどに用いられています。

パナソニック

様々な製品を生み出しているパナソニック

パナソニックといえば照明器具や家電用品等で有名ですが、家電以外の業界でも、電池、住宅用太陽光発電、ホームエレベーター等様々な部門でトップシェアを誇っています。
半導体などの製品も多く作られており、マイクロコンピュータ、特定用途ロジックLSI、ディスクリートデバイスなど魅力的な製品が多数あります。

32ビット高速・高性能マイコンは動作周波数も処理性能も高い製品です。
高性能さに加えて高精度アナログ回路、分解能の高いPWM回路を搭載していることで、インバータ制御能力が向上、コンバータ制御も実現できるという商品となっています。
電源制御やインバータ制御に利用され、エアコンや洗濯機などの性能をかなり向上させました。

こうした高性能な製品を作り出すパナソニックという企業は、日本人なら一度は耳にしたことがある「松下幸之助」さんが創業した企業です。

パナソニックの歴史

パナソニックの歴史は松下幸之助さんが大阪で始めた電球用ソケットの製造販売から始まります。
当時、借家でこの商売を始めた時、幸之助さんの奥様と弟さんの3人、1917年の事でした。
1918年に大阪市北区に移転し松下電器器具製作所を創立、1927年、自転車用角型ランプを販売した時からナショナルの商標を利用し始めました。

1931年にラジオの生産、その翌年ラジオの重要部の特許を買収し、無償で同業のメーカーに公開する等、戦後、エレクトロニクス業界の発展に大きく寄与したのです。
1933年にさらに移転し、大規模工場を建設し、この時事業部制を導入します。
その後、分社化、軍需産業に本格参入、さらに分社を本社に吸収合併しグループ再編を実施、日本が敗戦した1945年には朝鮮、満州、台湾、ジャワ、マニラ、上海など20カ所もの海外事業所を全て失うも、1946年に再統合などを果たし洗濯機などの開発をはじめました。

1952年にはオランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立、1954年、戦後壊滅事情帯となっていた日本ビクターと資本提携し、共に競争しつつ発展していくという業態を継続していたのですが、2007年資本関係を解消しています。

1955年、Pana Sonicブランドを作り輸出など行うようになり、1957年には街の電器屋さん加盟の日本初系列店ネットワークを発足する等、電器業界にも貢献します。
1971年にロゴをPANAS SONICからPanasonicへ変更し、様々な電気機器、家電、さらに半導体部品などを作り出す企業として活躍している企業です。

パナソニックの半導体

パナソニックは「次に創り出すために私達ができること、ビジネスパートナーに新しいソリューションを」というコンセプトを掲げ、様々な企業が利用する半導体を作り上げています。

マイクロコンピュータのほか、ロジックLSI、アナログIC、ディスクリートデバイス、オプトデバイス、イメージセンサなど、多くの製品を世に送り出しています。

シャープ

総合家電メーカーのシャープとして名をはせるまで

現在シャープは台湾・鴻海精密工業の買収が合意となり、日本の大手電機メーカーとしてはじめて外資系企業傘下となっています。
1912年、早川徳次さんが東京で創業した当時、徳尾錠と呼ばれた「ベルトのバックル」を発明し、起業した会社でした。
1915年には金属製繰出し鉛筆を発明し、これがアメリカで爆発的ヒットとなります。
この商品名は最初「早川式繰出鉛筆」という名だったのですが、アメリカで商品を販売する際、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」にしたことで、後に社名に利用されたのです。

1923年、関東大震災によってシャープペンシル工場が焼失してしまい、早川は家族も全て失い大阪にわたり、1925年、鉱石ラジオを「シャープ」という名前で販売し、戦争の前のヒット商品として人気を博します。
戦争が終わり、総合家電として松下電器産業、ソニーが台頭していたこともあり、この2社に圧倒的に差を付けられており、またこの当時、シャープ製テレビが発火し大火事になったなどトラブルも続き低迷の時代が長く続きました。

液晶のシャープと呼ばれるまで

低迷する時代から抜け出したのは、日本で初めて家電企業として電子レンジを制作、発売したという事です。
1966年には世界初のターンテーブル式電子レンジの開発に成功、1963年には太陽電池の量産化に成功しています。
太陽電池に関しては現在もシャープが世界2位です。

1964ん絵、オールトランジスタダイオードを利用した電子式卓上計算機を世界初として開発、その後電卓戦争と呼ばれるカシオとの戦いの中、表示部門に液晶技術を利用し、1973年、液晶を表示装置に利用したCMOS化電卓を開発し、これによってシャープは「液晶のシャープ」と呼ばれるようになったのです。

液晶事業への投資増を行っているシャープ

ファックス、電子辞書、電子レンジ、最近は複合機にも力を入れています。
更に液晶テレビ、そこから発展した携帯、スマホ等、様々な商品展開を見せているのがシャープの魅力ともいえます。

2009年にはLED電球を発売、家庭用照明事業にも参入し、もちろん半導体に関してもCCD等イメージセンサー、画像処理のLSI、液晶駆動用のLSI等、事業が推進されています。
半導体事業は特に注目されるもので、世界の中で注目される半導体企業としてシャープは知名度の高い企業です。
1970年にシャープ株式会社に社名変更して以来、先進的な部品、特徴的な商品を生み出す、さらに商品に利用されることで部品目標を明確にし、性能を向上させるという流れで企業が成長しています。

こうした企業の戦略をスパイラル戦略としているのですが、最近はこの戦略にプラスして、オリジナリティを重視したオンリーワン戦略も掲げています。

富士通

富士通、その歴史

日本のエレクトロニクスメーカー、総合ITベンダーとして世界的に有名な企業「富士通」は、ITサービス国内首位、また世界上位という日本が誇る企業です。
通信システムや情報処理システム、さらに電子デバイスの製造や販売、さらにサービス提供を行っています。

富士通は1923年、古河電気工業とドイツのシーメンス社が発電機と電動機を国産化するため合弁会社として設立された会社です。
富士通の「富」が意味するのはグループ古河の「ふ」であり、「士」はシーメンス社をドイツ語にした際のジーメンス社の頭文字である「じ」に由来しています。

富士通の半導体の歴史

1956年、富士通の川崎工場内にトランジスタ工場を新たに造りました。
ここでは電電公社の中継向けとして、シリコントランジスタ第一号を製品化しています。
1957年には国内最大、大型凡庸電子計算機である「FACOM222」が完成します。
その後、シリコン半導体技術を基として、TTL(論理集積回路 ロジックICの一種)等について電算機向けIC開発に着目します。

1966年、川崎工場において日本初、当時の最新設備といわれた技術の結晶である「ハンド半導体製造クリーンルーム」を完成させ、1968年には世界初「フルIC電算機FACOM230-60」を作り上げたのです。
更に1970年にはNi-Cr薄膜ハイブリッドICの開発に成功、福島県会津工場でIC生産をはじめ、量産体制を確立させました。

半導体デバイスHEMT製品化に成功

1976年にコンピュータ用メモリの微細加工技術を確立し、1979年にCMOSゲートアレイの外販をスタートさせます。
この年、アメリカに設計と販売を行う会社として、現Fujitsu Semiconductor America, Inc、当時の「Fujitsu Microelectronics Inc.」を設立しました。

そして1980年、富士通は動作原理を考案、開発した半導体デバイスHEMTを製品化します。
それからはパソコンに世界初64Kb FRAMを搭載、世界初となるCMOS 256Kb EPROMを発表し、1986年にはシンガポールにも設計と販売を行う会社を設立します。

世界初 スーパーコンピューターの塩酸機能をワンチップ化

1992年にはガリひ素ICの量産工場を作りこの年、やはり世界初となったスーパーコンピューターの演算機能のワンチップ化に成功しました。
そして、CMOSのベクトル処理LSIを作ったのです。
富士通は常に、半導体に関して一歩先を行く研究、開発、販売を行ってきたという事がよくわかります。

2000年にはあきる野テクノロジーセンターの開発、ここで最先端デバイスの開発や設計、試作などを一貫して行える施設が誕生します。
さらい2003年には半導体後工程となる事業を専門に行う富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ株式会社が誕生し、中国にも販売会社が生まれます。

実績が評価された受賞と止まる事のない開発への努力

2005年、マルチギガビットCMOS高速I/O技術の開発と実用化が第51回大河内記念賞を受賞し、ますます躍進を続ける富士通は、2006年には三重工場に300mmウェーハ対応第2棟建設、さらにアジア地域を強化するため、マイコン設計会社も設立します。

現在も半導体やそのほかの分野において、富士通は止まる事のない躍進、努力を続けています。
世界的にも注目される先進技術を作り出す富士通は、この先も注目される企業です。