半導体の1990年代

それまでアメリカの背中をとらえきれなかった日本ですが、80年代に入ると半導体分野でアメリカを凌駕するようになりました。
しかし、1990年代になると技術こそますます磨きがかかっていくものの、ビジネス面では韓国勢が台頭するようになり日本は劣勢となります。
ここでは、1990年代の日本はどんな時代だったか、この年代の半導体事情はどうだったのかということについてご紹介しましょう。

元気のある世の中

1990年には携帯、自動車電話のキャッチホンサービスが開始されることになります。
まだこの時代に携帯電話を持つ方は極めて少なかったですし、自動車電話を搭載している方もごくわずかな人でした。

翌年には今や伝説にもなったディスコ、ジュリアナ東京がオープンします。
夜な夜な踊り狂う男女がジュリアナ東京に足を運び、お立ち台やジュリ扇などは流行語にもなりました。
タクシーを待つ人が行列を作り、タクシーを停めるために一万円札を掲げる人が続出したような時代でもあります。

1995年になると日本を揺るがす大きな災害や事故もありました。
この時代を代表する災害の一つが阪神淡路大震災で、非常に強い地震と火災のために多くのエリアが甚大な被害を受けることとなりました。
また、テロリスト宗教集団による地下鉄サリン事件も起き、大勢の被害者を出したのもこの年です。
後半になると消費税の5パーセント引き上げや長野オリンピックの開催といった話題がありますね。

1990年代の半導体

常にアメリカの後ろをさまよっていた日本は80年代に入るや否やアメリカの背中を捉えることに成功し、DRAMの大容量化もますます進んでいきました。
これは90年代に入っても同様で、最終的には1ギガビットの開発まで行われるようになったのです。

1993年には大手電機メーカー日立がフラッシュ内臓マイコンを製品化し販売を開始しました。
フィールドにおける書き換えが可能となった点も従来から進化した点で、多くのユーザーから高評価を得ることに成功します。
これによってフラッシュマイコン市場は急速に拡大したと言われており、現在でもマイコンにおける主流技術となっています。

日本自慢の技術力の高さで半導体ジャンルの研究開発はますます盛んとなりましたが、韓国製の製品もこの頃から多数日本に入ってくるようになり、しかも安価ということで日本は苦戦するようになります。
それでも日本は価格よりも技術力で勝負する道を選び、そのおかげもあって日本ブランドの威信を守ることに成功したのです。

この時代もいろいろなことがあったようですね。
半導体分野の成長はもちろんですが、日本の歴史に刻まれるような痛ましい災害、事件が起きたのはショックですね。